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矛盾をみつめて、とけていく。
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このサイトでは、「矛盾を考え疑問を解消し、ストレスフリーに生きる」事を目的に、運営者が見聞きして得た情報や体験から考察した結果を素直な感想を混ぜた読み物として皆さまに共有しています。あと推し活とかご縁があったコンテンツのPRとかしてる。ぜひ存在を知ってほしいし、機会があれば触れてみてあげてほしい。

矛盾に関してはなるべく中立な立場での執筆を心がけていますが、最終的な結論は運営者の倫理観に依っています。このサイトの情報からご自身で何かを判断・決断される際は、あくまで1人の人間の一意見と捉えるのが健全と思われます。

……かんたんに言うと、僕が見聞きして感じた「なぜ?どうして?」に対して、ただひたすら感想を言っているだけです。

( ˘ω˘ ){僕の考えだけに依存しないでね!
ぼくの ことば が わかりづらいな と おもったら、した の もじ を すこしかえて、chatGPT きいてみると わかりやすく してくれるかも。

「”ここに わかりづらかった もじ を いれる上記の文章を校正してください。表現は7歳の子供にもわかるように修正してください」

推しは推してナンボ

せっかくだから推し活もしようと思って。

こういう事は何故そうなったかのストーリーが知れるというのが大切だと思うので、僕の身の上話から、人生の最推し達に出会えた経緯などを長々と書き散らそうと思います。

全ての発端

僕は2017年の9月、特発性血小板減少性紫斑病(ITP)という難病を突如発症して死にかけたことがある。

二十歳の時に悪戦苦闘の就活の末、1ヶ月だけ働いたアニメ背景会社のトラウマ(己の圧倒的力不足に加えて、運悪く教育担当やチーフとの性格の相性も良くなくて、結局彼女たちの都合の良いように謀られて自主退社してしまった経緯)で「役に立たねば居場所はない」の自己洗脳をかけてしまっていたので、ご縁でいただける仕事は都合が付けば好みに関わらずなんでも請けて、3足4足わらじを履いて仕事を掛け持ちし、その後友達の紹介で入ったお勤め先のデザイン会社では(ここでもスロースターターな性質が邪魔をして管理職へ行けるほどの能力はついぞ発揮できなかったけれど)一部の利己的なタイプの取引先や、これまた一部の己の能力不足を棚に上げ部下をいびるヤバい上司の元で働く先輩の補佐をしたり、とても優秀だけど事情があって注意欠如なエンジニアさんがバッチ処理でやらかしてしまって出た大量のトラブルデータをマンパワーで修復したりと、いわゆる「ニンゲンという生命が生きていく上ではどうしても出てきてしまう社会性ウンチイベントの後処理をする便器掃除の人」として働いていた。蛇足を付け足すと、トイレ掃除は小学生の時から僕のお役目でした。お掃除の時間なのに、ほっといたら誰もやらないんだものな。便器掃除。別にマメにチマチマやっとけば臭くもなんもないのにな。あの頃から、「気づいてないフリしてればアイツがやってくれる」の空気は感じていた。イヤなのはわかるけど僕にも限度はあるのだから、あんまり甘えないでほしかったな。当時「ありがとう」を言ってくれた子は、本当にありがとう。君のおかげで完遂できていた。

お話を戻すと、理不尽な事も多かったのでツラくはあったが、僕をボロ雑巾のように扱うのは権力を傘に着たアダルトチルドレンだけで、周りには良い人たちも沢山いたし、(そもそもミスが起こらないシステムの構築にリソースを振る方が健全だけど)誰かの「自分で処理しきれないミス」なら周りがカバーするのは自然な事だし、なによりもこんな中途半端な出来損ないの自分でも役に立てているのが嬉しくて、業務も多少肉体的にムリをすれば殆どなんとかなってしまっていたので自分もそれで良いと思っていた。

しかしある日、原因不明の肝臓不調で健康診断に引っかかり(飲酒・暴食はやっても月に一度程度で日常的にはしていなかったのだけれど、この時は脂肪肝の診断だったので栄養管理と筋トレで持ち直した)、更に原因不明の大量出血をするようになり(会社についたら太ももから身に覚えのない出血をしていたり、起床時に鼻血が小一時間止まらなくて会社に遅刻したり、慢性的な怠さが取れなかったり……ビックリな事にこの時点でも普通にお腹は空くし元気に動けていたので、「疲れてるのか?初めての整体でも行ってみるかな〜~」くらいのノリでいた……あたまがおかしい……)、そのうち高熱を出し寝込み、深夜の割れんばかりの頭痛と耐え難い吐き気で流石に「もしやコレは助けを呼ばないと死ぬやつでは??」と気づき救急相談して救急車を呼び、搬送先で急性のITPと診断された。ITPとは端的に言うと、「自分の免疫で自分の血小板をぶっ潰しちゃう病気」である。ありがとうございます、A先生。あの時輸血してもらえなければマジで終わってた。

翌日の退院後、実家方面の病院で引き続き数日間輸血をして様子を見ていたのだけれど、輸血しても輸血してもゾンビのように出血していくのでコイツはただ事じゃねえとなり、再度緊急入院してステロイドパルスという治療をして、プレドニンという効果絶大な代わりに副作用モリモリの薬で難を逃れた。健康な人の100/1しか血小板がなかったらしい。血小板が少なすぎて寝ているだけでも出血し続ける状態で、頭痛と不眠を訴えた時に撮ったCT結果でも脳に血が滲んでいたらしいので、マジで死ぬ一歩手前だった模様。頭でもぶつけようものなら1発アウトでお陀仏である。あっぶね〜〜〜。ありがとうございます、B先生。あの時ベッドをうまいこと調整して入院させてくれてなければマジで終わってた。

入院中は元気だった

入院中に、全身性エリテマトーデス(SLE)の疑いと、シェーグレン症候群という難病の確定診断が出た。

どうやらITPはシェーグレンに付随して発症してしまったようで、薬を飲んで免疫を抑え込んでいれば再燃はしない……という感じだった。入院中は全然パワフルで、自分が急死に一生を得た実感も全くなかったし、薬さえ飲んでいれば退院したらまたモリモリ働けると思っていた。

でも、長期服用の際の副作用がシャレにならない薬なので様子を見ながら使用量を減らさねばならず、減薬が始まった。

この時点では全然異変も起こらず前向きに生活できていたが、2週間ほどかけて半分まで減らし、退院して働きながら減薬を続けていたら、徐々に異変が現れ始めた。ビックリするほど疲れやすくなっていった。元気だったのは、薬の効果に加えて、衛生管理がしっかりされている環境下でただ食べて運動して寝てというストレスフリーな生活をしていたからだった。

たった1時間の通勤距離に耐えられない肉体。唐突な強い眠気。痺れて使い物にならない脳と四肢。会社のお荷物になっている自分へ対する苛立ち。自分が支えたい人達に逆に気を遣わせてしまっている空気感と、目に見える外傷がないのに業務的に殆ど使い物にならないので緩やかに見放されつつある状況への不安感。最終的に年に一回リツキサンという免疫抑制剤を点滴する事でプレドニンは完全に断つことができたけれど、その頃には食事・排泄・入浴の時くらいしかまともに起きていられないような体になっていた。

KANA-BOONとの出会い

雇用関係ってビジネスの関係なので、「役に立たねば居場所はない」はしょうがない部分もあるのだけれど、「役に立つ=お金としての利益を産む事」という図式しか持っていない人や、都合が良い存在に便器掃除を全部任せてしまう人、自分の不機嫌や無能で起こっているトラブルを部下になすりつけ甘くて美味しい評価だけを啜る上司、作業者の事を「叩けば無限に品物を吐き出す自販機」だと思っているクライアントなどの下で、何の自己主張もなく人のお尻フキフキをがんばるとこうなってしまうのだな、という教訓は得た。得たけれど。代償として取り返しのつかない体になってしまった。

もっと早く気づいていればとは思うが、気づけるだけの脳ミソがなかったのだからそれもしょうがない事だと思っている。とはいえ困った。殆ど寝たきりで働けないということは、家庭内でもただの穀潰しのようなものである。母親や妹弟たちはそんな事1ミリも思わないでいてくれたが、お金を出してくれている父は更年期障害なのかアダルトチルドレンなのか分からないが酒に酔った勢いで「死んでも良いからチャレンジしろ!働け!現実を見ろ!」と言うし(父の名誉のために補足すると、現在はお酒の量を減らして、穏やかであることを務める努力はしてくれている)、当時は「役に立たねば居場所はない」の思い込みもまだ解けてはいないから、なんとか体力をつけようと自分なりにアレコレ試みてはみるがまあ〜〜効果がない。笑ってしまうくらい焼け石に水状態が続いて、とうとう社会復帰を心のどこかで諦めながら、せめて衰弱して死ぬ前に自分の脳内にしかいない自創作のキャラクターたちに対して「自分と一緒に死んでしまうことはないよな、逃してあげなきゃ」という気持ちで、細々と小学生の頃から作り続けている世界の設定や作品プロットなどを整えていた。

そんなある日、妹のファミリー共有で間借りしているApple Musicに「KANA-BOON」の「フルドライブ」をオススメされた。当時はそのアッパーな音楽に「ええやん」となるくらいの軽い気持ちでお気に入り登録をし、度々フルドライブのSingleを通しで聴くという事をしていた。

だが、数ヶ月した頃、いきなり気づいた。ボーカルの声が、自創作の推しの脳内CVに酷似している。オタクのサガとは面白いもので、それからは狂ったように毎日KANA-BOONのアーティストページに飛んでシャッフル再生をした。

そうして迎えた2022年12月。遂に衝撃の出会いがあった。「alone」が流れたのである。歌詞が完全に別の推し自キャラのキャラソンである。歌い方も相まって涙が溢れた。

そこまででも結晶星やアスターなど何曲かに情緒を殴られていて度々「KANA-BOONお前……長年BUMPが不動で座っていた俺の最推しバンドの座を……?」とは なっていたけれど、生まれて初めて曲の成り立ちが知りたいと思った。アーティストのプライベートに触れると、スキャンダルなどの折にアーティストへ抱いている勝手な憧れが死ぬ事があるので、お気に入り作品ほど作者の情報には触れないようにしていたのだけれど、その時は「こんなにも心を動かすこの曲は一体、どういう経緯があって生を受けたのだ」と気になって仕方がなかった。

それで収録アルバムのWEBインタビュー記事なんかを読み漁り、歌を捧げた相手のことを心から愛していたこと、メンバー達の尊い献身、それを受けて死の呼び声を振り払い「自分の歌の届く範囲ではもう誰にも死んでほしくない、だから歌い続ける」というフロントマンとしての覚悟に完全にハートを撃ち抜かれてしまい、人生初めてのファンクラブに入った。

亡き津野米咲に恋をした

アルバム「Honey&Darling」のいくつかの収録曲は同一人物に捧げられた献曲だった。

デリケートな事案だなと思っていたので陳腐なエンタメとして消費したくないと思いつつも、一緒にユニットを組んで曲も作っていたようだった(しかもメッチャ良い曲だった)ので、相手のプライベートにも興味が出た。存在を知った時には既にお亡くなりになっていたので過去の情報を漁りまくるしかなかったが、ライター業を営んでいるっぽいとても熱心なファンが彼女の情報を詳細にまとめてくれていた。手を合わせる気持ちで感謝しつつパーソナルな情報を一気読みしながら、そのファン本人の心の整理のために書かれた随筆も読み漁って、少しずつ、少しずつ、彼女の解像度を上げていく。

曲も同時に聴き初めて、そのエモーショナルさに情緒は既にぶん殴られまくっていたのだが、解像度が上がるたびに、曲と彼女の人となりや周囲の評価とのズレに違和感を感じるようになった。彼女はとっても素直な曲を作る人だったようなのだけれど、彼女が生きる事を辞めてしまったその時まで、曲から滲み出ているSOSには誰も気がついてはいないようだった。

何で誰も触れないんだ?助けなかったんだ?とひたすら疑問が溢れていったが、きっと、隠すのがうまかったのだと思う。理想がとても高いけど、自分が思うほどには器用に事が成せなくて、でもとても頑張り屋さんで、自分の中の醜い感情の存在を許す事ができなくて、誰にでも優しくしたいのに、取りこぼしてしまう事もあって、人に好かれるのは好きでも束縛や支配はされたくなくて、距離の取り方に失敗して人が離れた時には「また失敗した」と心の中で泣き叫んで、そんなダメな自分に呆れて他の人にも見捨てられないか不安になって、かといって皆には弱みを見せたくなくて、誰にでもカッコつけていたくって。自分の心の問題を1人で何とかしようとするけれど、結局何とかする事ができなくて。曲がそんな感じだったので、気づいてる人が居たとしても手を触れるのを躊躇ってしまったのかもしれないし、おそらく手を差し伸べるには熟練のカウンセラーのような実力が必要だったのだと思う。

僕は共感しいな性格なので、随筆を読み進めれば読み進めるほど、当事者達の心の痛み・助けられなかった自分や周囲への苛立ち・彼女への途方もない愛がひしひしと伝わってきて、すべて読み終える頃にはべそべそに涙を流し、僕もすっかり彼女にプラトニックな恋をしてしまっていた。

本当に、なんて事をしてくれたのだ。生きていてくれさえいれば、ファンレターのひとつも送りつけられたというのに。

そんな事も思うけれど、僕と彼女を繋いでくれたのは「alone」だ。後から「キャロル&チューズデイ」の「Round & Laundry」のコンポーザーだった事を知り舞い上がったが、その舞い上がりは熱烈な古参ファンの随筆を読んで彼女に恋をしたから起こった感情だ。

彼女の死が結果的に僕と彼女を繋ぐキッカケであるという事実はとても心にダメージを与えてくる。何をどうしても叶うはずもないのだけれど、願わずにはいられない。生きていて欲しかった。直接称賛の言葉を伝えたかった。会いたかった。会って「等身大のあなたが大好き」と伝えたかった。

けれど、それでも、彼女に出逢えて良かったし、彼女の事を愛した人たちには、繋いでくれて ありがとうと言いたい。

生まれてきた作品や随筆は彼女の生きた証だ。愛されていたという事実の結晶だ。

僕は間に合わなかったし、この先彼女の存在を知っていく人たちもこの苦しみは抱えてしまうかもしれないけれど、「永遠じゃなくても、烟たがって思い出してほしい」と願う彼女の事はいつまでも覚えていたいし、僕が語れるような想い出はこれ以上は持っていないけれど、細々と語り継いで消さないようにしてあげたいなと思った。

生きている推しに想いを乗せる

そんなこんなで僕はwasabiガチ恋勢である。

wasabiの曲はもう増えないので、KANA-BOONを、谷口鮪を一生推すと心に誓った。

人生初の三次元推し活を始めて3ヶ月くらいしたら、オキシトシンがドボドボ出たのか、今まで何をやっても元気にならなかった体がたった一晩で急に元気になった(もちろん病気が治ったわけではないので完全復活ではないが、2時間以上起きていても体調を崩さないのは信じられないくらいの快挙である)ので、バンドを信じ過ぎて甘えてしまっていた部分はあれど、僕は「もう一度動く体をくれた」谷口鮪には返しきれないくらいの恩がある。

次の個人記事では「新生KANA-BOONおよび谷口鮪の推しポイント」を、楽しみ方別に紹介してみようと思う。推しに光あれ。

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