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矛盾をみつめて、とけていく。
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このサイトでは、「矛盾を考え疑問を解消し、ストレスフリーに生きる」事を目的に、運営者が見聞きして得た情報や体験から考察した結果を素直な感想を混ぜた読み物として皆さまに共有しています。あと推し活とかご縁があったコンテンツのPRとかしてる。ぜひ存在を知ってほしいし、機会があれば触れてみてあげてほしい。

矛盾に関してはなるべく中立な立場での執筆を心がけていますが、最終的な結論は運営者の倫理観に依っています。このサイトの情報からご自身で何かを判断・決断される際は、あくまで1人の人間の一意見と捉えるのが健全と思われます。

……かんたんに言うと、僕が見聞きして感じた「なぜ?どうして?」に対して、ただひたすら感想を言っているだけです。

( ˘ω˘ ){僕の考えだけに依存しないでね!
ぼくの ことば が わかりづらいな と おもったら、した の もじ を すこしかえて、chatGPT きいてみると わかりやすく してくれるかも。

「”ここに わかりづらかった もじ を いれる上記の文章を校正してください。表現は7歳の子供にもわかるように修正してください」

そもそも経済活動ってなに

僕は、お金とは「アレが知りたい、コレが知りたい」「感情を揺さぶってくれてありがとう」「気づきをくれてありがとう」「価値あるものをくれてありがとう」「どうかこれからも生きていてくれ」など、何かしらの感情や欲望を可視化して、それをお互いが「欲する物にストレスなく交換できる」様に記号化したものだと思っている。

それが健全な意味での「対価」だと思っている。

もちろん、「ネガティブな感情」というお金もあると思う。「もう関わらないでくれ」「あいつをボコボコにしたい!」「こいつを叩いてアホな民衆の気を引いてお金を得るぞ〜」みたいな、ある種の拒絶や攻撃性を持った記号。

個人的には殲滅や搾取の気を帯びたお金は好きではないけれど、そのどちらもが経済活動であり、経済とはそういうものなのだとも思う。大切なのは何かしらの波を起こす事であり、ほんとうに無である事を尊ぶならば、きっとその人間にお金を得る資格はない。だって、お金を得るというのは、価値の交換という行為だ。参加しようとしないのならば得られるものは何も無いというのは、考えてみたら当然な話だ。

何も差し出さずに持っていくばかりでは、人が離れてしまってもしょうがない。物理的なものであれ精神的なものであれ、お互いがお互いに見合ったものを差し出せなければ、望んだ幸せは手に入らないのかもしれない。

自分の中の矛盾に苦しむ

では、そうであるならば、いったいどう参加していくのがよいか。

感情を飯のタネにする事に嫌悪感を抱く人はどうしてもいる。実際、僕も人の活動を見ていて、「な〜んだ、結局お金のための行動かぁ」という感情になる事はある。世の中の物事にはとても多くの矛盾を感じるし、利己的な気持ちが透けて見えてしまうと、やっぱりどこか薄っぺらく感じてしまうこともある。

でも、人間社会で生きている以上は自分も感情を消費していると思うし、ストレス社会で生き抜くためには食事や排泄と同じくらい大切な生理現象とも思うし、生きるためのお金を稼ぐという行為の方も、真剣にやってみると結局心も対価も蔑ろにはできなくなるので、大抵の人は自分にできる最大限で生活をしているのだろうなとも思う。透けて見えてしまうというのは、相手の実力不足かもしれないし、自分自身の持つ偏見から勝手に貼ってしまったレッテルかもしれないし、大抵はその両方の合わせ技だったりする。お互いが「寄り添う気」でいないと、結局何もうまくはいかない。

きっと、バランスが大切なのだろうと思う。

感情の天然石と人工石、どちらも本気で追求されていれば綺麗なものだと、僕は思う。そこに至るまでの積み重ねを知る事が、美しさを感じるという事だと思うし、知ろうとしてもらえるような感動を与えられるよう考え続けるのが、追求するという事だと思う。

多様性を考えつつ、最適な道を選びたい

では、どういうバランスが一番よいのか。

色々と悩ましいけれど、これは結局、個人の好みや、心身の耐性の高さによるのだと思う。関わる人の心を蔑ろにしたり、自分の心にウソをつくと、結局うまくは廻らないのだ。

なるべく感情の「齟齬」や「揺り戻し」が少ない ゆるふわ空間が好きな人もいれば、お互いが引き際を「分かっている」「察せる」状態での いわゆるお道化やプロレスが好きな人もいる。相手との「本気の斬り合い」みたいなのを好む人もいる。

ちょっとビックリしたのは、「1ミリも傷つきたくない。支配できないものは滅ぼす」みたいな人もいる。僕はどうやら大層愚直でとろい様だから、大抵このビックリ人間さんに心身のおスネを齧られて生きてきた。そういう人は自分のご機嫌を自分でとる事がツラいのだろうから、本当はそういう生き方も許容してあげたいところだけれど、悲しいことに齧りに齧られ僕にはもはや齧られるスネがない。こまった。

僕がノーおスネ人間になってしまったように、それら好みの違う者たちが認識を間違った状態のまま関係を進めてしまうと、取り返しのつかない争いや事故が起きるのだと思う。なので、なるべく困る人が出ないよう自分なりに考えた売り方が1番素敵な売り方だなぁ、と思った。

やり方は全くわからないけれど、きっとこの「困らないバランス」を考察するために僕はノーおスネ人間になったのだと思うので、やれる所までがんばってみようと思う。

ここまで読んでくれて、アリガトな!

食べ物と同じように、摂取したコンテンツが同一でも、その人が受け取る感情は千差万別。
「あ〜、なんか共感できるな〜」「暇つぶしには丁度良かった」「面白かった!」「心に刺さった……」など思っていただけてたら幸いです。
色んな人に存在を知ってもらうという事が大切なので、もしよかったら「#じぇらーたるーぽ」「#gelatalupo」タグを付けて各種SNSなんかに共有したりして感想言ったり拡散してもらえると……嬉しいしありがたいなぁ……(((◜ω◝)))

「おもしれーゼラチン……飼ってやっても良いぜ……」という方はプロフィールから辿ってマンガを読んでいただくなりFANBOXかなにかでちょこっとご支援してもらえたら生きていられてかなりたすかる。うれしい。心からの感謝と「あなたも幸せにな〜れ!」の気持ちを飛ばしながらミリしらランバダを踊ります。

随筆:冷凍オオカミの独唱

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