gelatalupo

このサイトでは、「矛盾を考え疑問を解消し、ストレスフリーに生きる」事を目的に、運営者が見聞きして得た情報や体験から考察した結果を素直な感想を混ぜた読み物として皆さまに共有しています。あと推し活とかご縁があったコンテンツのPRとかしてる。ぜひ存在を知ってほしいし、機会があれば触れてみてあげてほしい。

矛盾に関してはなるべく中立な立場での執筆を心がけていますが、最終的な結論は運営者の倫理観に依っています。このサイトの情報からご自身で何かを判断・決断される際は、あくまで1人の人間の一意見と捉えるのが健全と思われます。

……かんたんに言うと、僕が見聞きして感じた「なぜ?どうして?」に対して、ただひたすら感想を言っているだけです。

( ˘ω˘ ){僕の考えだけに依存しないでね!
ぼくの ことば が わかりづらいな と おもったら、した の もじ を すこしかえて、chatGPT きいてみると わかりやすく してくれるかも。

「”ここに わかりづらかった もじ を いれる上記の文章を校正してください。表現は7歳の子供にもわかるように修正してください」

前提条件!

ご飯を食べる際たまに「お前の命を無駄にしないぞ」となる事について深掘りというか、少し残しておきたい思い出話がある事を思い出した。

人はトラウマを基点に行動指針を決める説

小学生の頃、課外授業で鮎の掴み取り体験というものをした。

掴み取りした魚の腹を捌いて串刺しにして焼くみたいな事もさせられたのだが、あろうことか僕は「掴んだ魚側の視点」を想像してしまい、腹を生きたまま捌かれる心地を思い浮かべ、「そんなんしたら魚絶対痛いじゃん」となり踏ん切りがつかず、しかし学校の活動の一環なので、最後までやり切る為には魚を逃すことも出来ず、どうしたらいいか分からなくてオロオロしていた。

その内、手の中で暴れていた魚の元気が段々となくなっていき、苦しそうにしながらも力なくもがいていた魚はやがて動きを止めた。

緩やかに命が失われていく瞬間を手の中で体験してしまい、「ああ、僕が網の外に逃してあげればコイツはまだ生きられたのに」という後悔を抱え、でも殺してしまったものは殺してしまったものなので、半泣きになりながら川の中に魚の亡骸を突っ込んで、腹を捌いた記憶がある。

捌く際に溢れ出る血を川の流水で洗い流しつつ、内臓を取り除いて串に刺した。しかし、刺す方向を間違えた状態で焼いてしまい、尻尾の方の半分くらいが生焼けになってしまった。

生焼けの身はとても生臭く食べられたものではなかったが、授業なので火を扱える時間も限られていて追い焼きができず、結局ほとんどを食べ残してしまう形になった。

食べ残してしまった部分は捨てるしかなく、「散々苦しめた上で魚の死を無駄にした」というえげつないトラウマを抱える事になった。それ以降、自分の意思で食べ物を残したり食わず嫌いする事が苦手になったし、自分にはどうすることもできない状況で廃棄されてしまう「まだ食べられる食品」を見ると、じんわりと胸が痛む。

そして殺生に関しても、返り討ち以外での殺生はするまい(返り討ちの場合も見逃す事で周りにデバフが撒かれなければ、なるべく不殺)と心に誓った。

食べ物関連ではないけれど、普段温厚な人がある1つの物事に関してだけは頑なな姿勢を見せるという事も多いし、僕がある程度相手の生活歴を知っている人たちの無意識な回避行動を見ていても儘思うが、後悔にせよ怯えにせよ、人はトラウマを起点にして自分の中に絶対的な行動指針を作るのかもしれない。

とはいえ考え過ぎにはご注意

そんな経緯から、基本的に自分のために何かを調達する際には、余分に余っているものや捨てられたらソイツの死が無駄になりそうなものを引き取らせていただくくらいの感覚で生きているので、欲しいと思ったものがすぐ手に入る現代は本当に凄いと思うし、そのシステムを維持してくれている人たちにも頭が上がらないなと思う。

それと同時に、セルフネグレクトがすごいから、自分以外の人間がいないとどんどん生活が雑になってしまう感覚もあるし、僕はもう少し自分の事を大事にした方が良い気だけはしている。大事にしたいとは常々思っているんですがね。悲しいかな、共感性が高すぎてどうしても自分の取り分が一番優先度下がっちゃうんですよね。自分が譲ればすべてが等分……と思ってしまうクセは未だに抜けない。最近は周りの人が巻き込まれて損しないように、頑張ってイーブンを狙う努力はしているんだけれども。「苦手な人が好きな人に譲る」は良いと思うけれど、「欲のない人が譲れば良い」みたいなのって、一見画期的な発想に見えて、実は慣れると恐ろしいものだと思う。そういう事に慣れてしまっていると、欲のない人がいない状況では、誰かに我慢を強いる事になる。パイの奪い合いという考えより、如何に誰も踏まずに全体のパイの生産量を上げていくかという考えが大事だと思う。それに、優しすぎて「欲がないことにされてしまう人」もたくさんいる。欲の大きさに関係なく、手を上げた全員への分配を長い目で見て等分にする必要があるなと思う。「あの子が前回少なかったから、今回はちょっと多めがいいかな」「この子はいつも人が嫌がる仕事を率先してやってくれるから、ちょっとご褒美をあげよう」を「どれだけの人が自然に考えられるか」が大切な気がする。気を付けてはいるんだけど、うっかり人に思想を強制しかねないので、肉体的に飢えずに生きていけるだけマシと思ってしまうのなんとかしたいなぁ……。

ここまで読んでくれて、アリガトな!

食べ物と同じように、摂取したコンテンツが同一でも、その人が受け取る感情は千差万別。
「あ〜、なんか共感できるな〜」「暇つぶしには丁度良かった」「面白かった!」「心に刺さった……」など思っていただけてたら幸いです。
色んな人に存在を知ってもらうという事が大切なので、もしよかったら「#じぇらーたるーぽ」「#gelatalupo」タグを付けて各種SNSなんかに共有したりして感想言ったり拡散してもらえると……嬉しいしありがたいなぁ……(((◜ω◝)))

「おもしれーゼラチン……飼ってやっても良いぜ……」という方はプロフィールから辿ってマンガを読んでいただくなりFANBOXかなにかでちょこっとご支援してもらえたら生きていられてかなりたすかる。うれしい。心からの感謝と「あなたも幸せにな〜れ!」の気持ちを飛ばしながらミリしらランバダを踊ります。

随筆:冷凍オオカミの独唱

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