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このサイトでは、「矛盾を考え疑問を解消し、ストレスフリーに生きる」事を目的に、運営者が見聞きして得た情報や体験から考察した結果を素直な感想を混ぜた読み物として皆さまに共有しています。あと推し活とかご縁があったコンテンツのPRとかしてる。ぜひ存在を知ってほしいし、機会があれば触れてみてあげてほしい。

矛盾に関してはなるべく中立な立場での執筆を心がけていますが、最終的な結論は運営者の倫理観に依っています。このサイトの情報からご自身で何かを判断・決断される際は、あくまで1人の人間の一意見と捉えるのが健全と思われます。

……かんたんに言うと、僕が見聞きして感じた「なぜ?どうして?」に対して、ただひたすら感想を言っているだけです。

( ˘ω˘ ){僕の考えだけに依存しないでね!
ぼくの ことば が わかりづらいな と おもったら、した の もじ を すこしかえて、chatGPT きいてみると わかりやすく してくれるかも。

「”ここに わかりづらかった もじ を いれる上記の文章を校正してください。表現は7歳の子供にもわかるように修正してください」

「本気」の定義ってなに

最近自分がよく「本気」というワードを使っているなと思ったので、「そもそも本気というのはどういう事なのか」を考えてみた。

陰陽を考え、運が悪かった人の事を想う

大企業もやりがちだけど、ただ言葉狩りをして認知をすり替えれば事が収まると思っている層が一定数いる。

もちろん多くの大企業のトップは誠実な心を持っていると思われるが、トップ故に多忙で、自身に届く情報は選別されざるをえず、中間職に「上に忖度したり下を見下す不誠実なテイカー」が紛れ込むとどんな大企業でも滅んでゆくし、それは信頼して付いてきてくれている部下やお客様を裏切ることにもなりかねないし、なによりもトップに上り詰めるような人種には我々庶民には見えていない「引きで見た現実」が見えているだろうから、大企業の言葉狩りには「民衆の勢力比率と民度」が反映されるという側面もあり、心を痛めながらやむを得ずやっている可能性も多分に含まれる。

ニンゲンの思考力や脳機能には限界があり、どんなに気を配っても過失は起きてしまう。であるので過失と判定できる材料が十分に揃っているなら、償いで精算した後は社会への復帰を許すという心持ちが大事(あと精算スピードや精算手段は償うニンゲンのスペックを見て適宜調整してあげるのが大事)だと思うのだけれど、過失だったら無条件に免罪されるという訳ではない。

しかし、運が悪いニンゲン、というものは確かに存在するのだ。僕だって体を壊すほどに他者に己を差し出してしまっていたから、それが己の業といえば業であるけれど、相手の余裕メーターを確認しない(もしくは相手の特性を見極めず「察しろの圧」をかけ「確認するポーズ」しか取らない)テイカーにも問題はあると思う。そして、ニンゲンの脳のスペックにバラつきがある以上、どこまで行っても誤認という現象がなくなる事は、たぶん、ない。

それ故に説明を丁寧に行うというのはとても大切な事なのだけれど、丁寧な説明というのは結構なコストがかかるのでやるにも限界があるし、説明が長ければ長いほど、理解には脳のスペックと時間を要するので、悲しいかな、伝わってほしい人にこそ伝わってほしい事が伝わらない。とんだバグである。なんなんだこれは。

今の所、最も効果的と思われるのは、物事のポジティブな面とネガティブな面の両方を「やれる範囲で徹底的に洗い出して」、最悪のケースが起きた場合の対応を決めておく事だと思われる。ただしこれにも一工夫必要で、ただ斬り捨てれば良いという訳でもない。

手負いの獣は何をするか予測がつかないように、ニンゲンもまた追い詰められると自暴自棄になる生き物である。体が痛くてしょうがないのに早く走るなんて事は元々のスペックが相当高くないとできない芸当だし、心が痛すぎると脳ミソは生き延びるために感情を遮断し、考える事をやめるのだ。これは僕自身が身をもって体感した。

自分がいつ「手負いの獣」になるのかなんて、予測できないのだ。獣になってから、今まで自分がどれほど恵まれた存在であったかに気づき、同時に問題から目を逸らし底辺まで堕ちに堕ちてしまうと、現状助かる方法がない事に気づく。世界はあまりにも残酷だ。問題を放置したニンゲンは問題を解決する体力が養われていないから、助けようとしてくれる人がいても速度に付いて来れなかったり、ともすれば跳ね除けてしまう事があるのだ。手は貸してもらえるが、あくまでそこから這い上がって幸せの道へ走り出すのは、自分自身でなければいけないのである。医療現場でも往々に言われている事だが、「最終的には本人の生きたいという意志」にかかっている。

であれば、「生きたい」と思ってもらうにはどうしたら良いか。最悪のケースを考える際には、これを考えなければいけない。相当思い入れがない限りは個人が手負いの獣を介護してやる義理はないが、だからといってひたすら無関心でいるといずれ社会の崩壊によって泡を喰うのは自分なので、悪質な執着をされない範囲で己にやれるだけの傷は塞いであげるのが健全な精神だと思う。

周りの人の困りを考慮せず、ただ熱中するだけでは本気とは言えない

以上の事を踏まえると、本気というのは、ただ自分のやりたいように熱中する事を指す訳ではないなと思った。

自分のやりたい事を主軸に置き、周りへの影響を考え、陰が陽を超えてしまったり、陽が勢余って陰に反転しないか考えた末で、敵味方問わず全員でのハッピーエンドを目指す必要がある。

それを考えて、間違った時には軽率に揉み消すのではなく、当人は違和感や自分に向けられる周囲からの嫌悪感が小さい内に謝罪と修正を試み、かつ周りは過分な精算を望んで自分が加害者にならないように注意を払い、精算が終わったらお互いに中道を保つ。そうしていかないと、どんなに輝かしい道を歩いていても、先に待っているのは底の見えない暗い崖なのではないだろうか。

キラキラし続けるには、「素直な気持ちで、誰も困らないかどうか考える」を、主軸の隣に置いておく事が大切なのではないだろうか。実際思考した通りに行動できるか否かはまた別の問題だけれど、この思考は、自分の許容値を把握しながらチマチマ鍛えていけば誰でも手にできるものだと、僕は思っている。けれど、それを無意識が拒み続けている内は、おそらく、その人の本当に欲しいものは永遠に手に入らないのだろうなと思う。

ここまで読んでくれて、アリガトな!

食べ物と同じように、摂取したコンテンツが同一でも、その人が受け取る感情は千差万別。
「あ〜、なんか共感できるな〜」「暇つぶしには丁度良かった」「面白かった!」「心に刺さった……」など思っていただけてたら幸いです。
色んな人に存在を知ってもらうという事が大切なので、もしよかったら「#じぇらーたるーぽ」「#gelatalupo」タグを付けて各種SNSなんかに共有したりして感想言ったり拡散してもらえると……嬉しいしありがたいなぁ……(((◜ω◝)))

「おもしれーゼラチン……飼ってやっても良いぜ……」という方はプロフィールから辿ってマンガを読んでいただくなりFANBOXかなにかでちょこっとご支援してもらえたら生きていられてかなりたすかる。うれしい。心からの感謝と「あなたも幸せにな〜れ!」の気持ちを飛ばしながらミリしらランバダを踊ります。

随筆:冷凍オオカミの独唱

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